撮影コーディネーション体験記(その4)

危険な目にも遭いました。

実は、クラッツェから乗客が2名増え総勢13名になっていました。不吉な数字ですね~。

そして撮影最終日、運命の金曜日を迎えました。

最終日は大きなフィヨルドの奥にあるスコウクリッツ川河口近くの原生林です。森の中の撮影を無事終了し船に戻ったのですが、普段の運動不足とやっと撮影が終わった安堵感からビールを一缶飲んだ途端、疲れがどっと出てきました。「夕食までちょっと横になってくるわ。」と、ことわって、いつも使っている下段ベッドに転がり込みました。うとうとしていると、ゴン!と鈍い衝撃がありました。船が動き出して流木にぶつかったのかな、と思いそのまま寝込んでしまいました。突然ガターンという音とともに、床に置いてある撮影機材を入れているジュラルミンボックス、スーツケースが滑りました。あとで判ったのですが、ジュラルミンボックスの一つが私の寝ている向かいの下段ベッド(普段カメラマンの渡邊さんが使っている)の中に転がり込んでいました。寝ぼけているので何が起こったのかよくわかりません。上から私を呼ぶ声が聞こえます。でも、疲れているのと眠いので起きあがる気になれません。何度か呼ばれてやっとベッドを抜け出し、階段を上がろうとするのですが、なかなか上がれません。急に身体が重くなったような気がします。船が傾いて階段が梯子のように垂直になっているのです。なんとか手すりにつかまりながら上にあがると、「何してたの、吉田さんが何度も呼んでいたのに!」「何が起こっているかわからないの!座礁したんですよ、船が!」と、伊藤さん。

船を軽くして浮かそうとの博士の考えで、マイケル船長、ジェニーさん、高齢のブリストルさんを除く10名が小さな上陸用のボートに乗り移ることになりました。傾いた船の高い側から乗り移るのですが、途中まで船につかまって降り、そこから跳び降りないとボートには入れません。10名が乗り移っても、潮がさらに引き続けているので船は浮きません。完全に傾いてしまった船に、今戻るのは危険との博士の判断でそのまま小型のボートで船が浮くのを待つことになりました。跳び降りる際に背中を痛めた(クラッツェから合流した)日本人のアウトドアーライターが船に戻りたいと言い出したので、カメラマン兼彼女の通訳、マッサージの免許も持っている伊藤さんの3名を船に戻すことにしました。船から梯子を降ろしてもらいますが、上部が固定出来ません。しかも梯子の最下部がボートから随分高い位置にあり、とても届きません。船長とブリストルさんが固定されていない梯子を手で支え、体重の軽い伊藤さんを皆で持ち上げなんとか船に戻しました。あとの2名も皆の力で船に戻しました。カメラマンの渡邊さんもボートに移った折に足にかなりの怪我をしていたのですが、この時には何も言わず我慢していたことを後で知りました。

この撮影期間中は一滴も降らなかった雨が降りはじめ、風も出てきました。夕食前だったのでお腹も空いてきます。最終日の夕食メニューはバーベキューの予定だったので、それを考えると余計空腹がこたえます。退屈しのぎに歌を唱いはじめるのですが、思いつく歌がMICHAEL ROW THE BOATだったりWHAT SHALL I DO WITH THE DRUNKEN SAILORなど歌詞が不適当でなかなか続きません。リバプールで大学生活を送った博士がビートルズの曲を唄いはじめ、皆がついて唱います。皆が唱い疲れると、「君はバーダーだからトリの名前はたくさん知っているだろう。トリを含めた生き物のしりとりゲームをやろう。こんな時には、ブリストルと私はいつもこれをやるんだ。」と博士に云われ、スペルの最後のアルファベットではじまる名前を思い出しながら二人で始めました。延々とやりますが、なかなか潮は満ちてきません。他の人達は一週間続いたフィールドワークと撮影の疲れから話す元気もなくなり、船から投げてもらった寝袋を身体に掛けじっとしています。さらに潮が満ちてくるのをじっと待ち続け、午前3時過ぎやっと浮いてくれた船に戻れましたが、今度は船のエンジンがかからなくなっていました。高い山の陰のフィヨルドにいるせいか、無線で呼んでも誰からも応答がありません。

「仕方がない。とりあえず寝て夜明けを待とう。」と博士に云われ、吉田さん、渡邊さん、伊藤さん、ブリストルさん、船長、ジェニーさん以外はそれぞれ各自のベッドに入ったのですが、その間に大変なことが起こっていました。我々が寝ている間に岸に近づき過ぎた船を引っ張り戻すため、ブリストルさんが使っていた上陸用のボートが、浸水し水没しそうになっていたのです。眠いところを起こされ雨の中、力を合わせて引っぱり上げたのですが、今度はなんとこのボートまでエンジンがかからなくなってしまいました。

夜が明けました。

念のためと海に降ろし、ロープで船につないでおいた2隻の救命ラフトの大きいほうが、誰も気がつかない間に流されています。ニック君がこのラフトのロープを結んだ時、クリスタさんに「ロープがゆるんでいないかどうか時々見ておいてくれ。」と頼んでいた時、横にいて「僕も見ておいてあげるよ。」と云った私は、大いに責任を感じてしまいました。クリスタさんは、もう泣き顔になっています。私が「ごめん、申し訳ない。僕も見てなきゃいけなかったのに。」と云うと、「いいや、結んだのは僕で、ほどけるような結び方をした僕の責任だ。」とニック君。時々が経過するにつれ、どんどん状況が悪くなってゆきます。座礁したところは大きなフィヨルドの奥の入江で、一般船舶の航路から大きくはずれており、近くを通りかかる船もありません。救命ラフトが、全員が乗れそうもない小さな1隻になってしまった時には、最期にジタバタしないため、そろそろ覚悟を決めなきゃいけないかな、と思いました。伊藤さんもこの時、同じ心境になっていたと後でわかりました。彼は虫の知らせか今回の撮影前、家族に遺書を書きのこしていたそうです。

やっと午前10時頃(座礁から約14時間後)に沿岸警備隊と無線連絡が取れたらしい、と博士から知らされました。その30分後、水上飛行機がやってきて船の上を旋回しはじめました。何度も旋回した後、船から離れたところまで飛び、そこでも旋回を繰り返しています。何だろうと水面を見ると、流れていった救命ラフトが浮かんでいます。その後、水上飛行機は飛んでいってしまいましたが、「我々を見つけてくれた。これで助かった。」と、一同ほっとしました。さらにその2時間後、沿岸警備隊と我々の船の交信を聞きつけた近距離移動用の小型船と大型船の2隻が救助にかけつけてくれました。小型船で二回往復してもらい大型船に乗り移りました。この大型船はグリズリーベアーのハンター(お客はたった一人、クルーは約10名)がチャーターしているもので、空いているベッドで自由に休んでいいよと云ってくれたのですが目的地が全く別方向だったため、約1時間後に無線を聞いてかけつけてくれた別の船に乗り移りました。この船に移って暫くしてからやっと沿岸警備隊が到着し、事情聴取を簡単に受けました。船をチャーターしていた家族の厚意で、暖かい食事をいただき、当初の帰港予定地ベラベラではないもののベラクーラに送り届けてもらいました。ベラクーラの港に到着したのは座礁してからほぼ24時間経った土曜日の夕刻でした。

今回撮影出来たカーモーディベアー(KERMODE BEAR)またはスピリットベアー、ゴーストベアーなどと呼ばれるブラックベアーの亜種は二重劣性遺伝子を持つ個体はアルビノではないのに白色の毛を持つものが現れます。温帯降雨林では、(たとえばトリの場合)ウタスズメ、ゴマフスズメなどのこの地域に住む亜種は北米内で最も暗い色になります。長い進化の過程で暗い森に適した色を持つようになったと考えられているのです。ただこの白い毛を持つクマが、なぜこの暗い温帯降雨林に生存し続けているのかは良く解っていません。番組では、この謎解きに挑戦したのですが、研究結果が発表の段階でないことや、この白い亜種が最後の氷河期に発生したかどうかの結論が出ていないこともあり、担当ディレクターの吉田さんは構成作りに大変苦労しました。今回の撮影を通して気づいたことは、NHKの自然番組では「なぜ」ということが徹底的に追究されることです。このなぜ?なぜ?が終わらないうちは番組の構成が完成しないのです。普段この辺りをいい加減にしたまま仕事をしている私には良い勉強になりました。もしかすると、大学の卒論をまとめる時より勉強したかもしれません。こんなことを書くと関学のアカデミックレベルの社会評価が下がるかもしれませんが・・・?

ベラクーラにたどり着いた翌日、私とニック君はバンクーバーに、ライムケン博士一行と日本からの2名はポートハーディー経由ビクトリアに向かいこのアドベンチュラスな旅を終えました。3名の撮影クルーはベラクーラにそのまま居残り、2日間ここで撮影した後、さらに救助してくれた船(HIGH SEAS DRIFTERS=この船もあまり名前が良くないですね~)をチャーターして再び島に戻り、クマとサケの映像を撮り続けました。彼らが乗った船の上陸用ボートも、船長と料理担当の女性が親切にも温かい昼食を撮影中にロケ場所に届けてくれている間に座礁してしまい、オオカミの声がすぐ近くで聞こえるところで野宿するという怖い目に遭ったそうです。それでもなんとかバンクーバーに戻った翌日からアダムズ川でベニザケの大遡上シーンの撮影、帰国前日には延び延びになっていたハウサウンドとブラッケンデールの空撮を終えました。6週間、一日の休みもなしに撮影を続けたクルーのがん張りには本当にあたまの下がる思いです。

いったん日本に帰ってから11月初旬に戻ってきた撮影クルーはブラッケンデールでシロザケの遡上、ビクトリア大学でライムケン博士の研究室でのインタビューなどを撮り終え、一年がかりの撮影は終了しました。

私の長いバンクーバー便り(撮影同行記)もおしまいにします。

また面白い体験をしたときに、次の便りをお送りします。

川端 雅章 (バンクーバー支部幹事)

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