ブエノスアイレス旅行記

去る10月初旬から一週間余り、初めてアルゼンチンのブエノスアイレス(BA)へ家内と息子と一緒に行ってきました。その簡単な旅行記です。何故BAなのかと言うと、隠居したら年に一回行った事がない所へ行こう、それもパスで行ける所へ、というのが航空会社勤務時代からの計画だったという単純な理由です。先ずここからアトランタへ6時間以上かけて飛び1泊、翌日BAへ10時間半程かけての飛行と今迄で一番遠い目的地でした。

BAは、アルゼンチンの北東部にある首都で人口約千三百万、世界8番目の大都市です。温暖な気候で、滞在中初春のような良い天候でした。地元の人々の印象は、北米の殆どの大都市よりずっと感じがよく、不親切や失礼な態度を受けたことは一度もなかったです。只英語が殆ど通ぜず、出発前多忙で少しもスペイン語を憶えて行かなかったことが悔やまれました。又貧富の差もかなりあるようで、郊外には、スラムではなくとも貧民街のような所も数多くみられました。又市内あちこちにある広大な公園には、ホームレスもおりました。中心地は、古い立派な建物が多く、よく言われるように欧州の都市のようでした。地下鉄は、市内を横縦断してるのですが、あまり発達しておらず、タクシーが安くて便利なので走ってる車の半分がタクシーの様に見えた程。治安が余りよくないと行く前に聞いてたのですが、我々は一度も危ないこと経験しませんでした。又経済的には、以前から遅れてるようで道路や公園の整備は良くないです。それにドライバーマナーズが良くなく、50年前(?)の日本のようでした。この国で知られてる事は、ご存知のタンゴと国技サッカーです。タンゴは、観光客の多い所の街頭でよく実演されてました。さすが本場のは、悩ましく見惚れてしまいます!サッカーは、BAだけでも何十と言うプロチームがあると聞きました。その中でも世界的に知られてる「ボッカジュニア」のホームスタジアムが郊外にあり、ブラジルのペレに並び有名なマラドナがそこで活躍したのです。BAでの目玉場所の一つとして、有名人と富豪だけの大墓地があります。二ブロック四方くらいある大きな墓地で、墓石でなく夫々が小屋程もある立派な墓なのです。エビタペロンのもそこにあります。墓参りの人たちを全然見かけず、我々の様な観光客が全部と言っても過言でなかったです。

BAは、プラタ川河口に面し、対岸はウルガイなのですが、河口と言うよりむしろ大西洋の内海で、渡るのに普通フェリーの速度では3時間、ファーストフェリーでも一時間かかります。そこにあるコロニア(COLONIA DEL SACRAMENTO)という小さな町で一日過ごしたのですが、スペインとポルトガルが17世紀に領土争いを長年続けたところで、当時の遺跡と町並みが残っており、中々興味深かったです(UN 世界遺産指定地)。それにしてもアルゼンチンもウルガイも言葉はスペイン語、街で見る主な人種は白人(86%イタリアとスペイン系)で、北米を含めて昔の欧州帝国主義の結果を今も目にし考えさせられます。ご存知のようにカナダと米国は、原住民に対してその償いをし続けてますが南米諸国は、その点どうなのでしょうか。偶然最近テレビでアイヌのドキュメンタリー番組を見ましたが、北南米と類似した歴史的背景があるように思えます。

実は、今回の旅行目的の一つは、60才から始めたマラソンを世界7大陸で走ると言う野望(迷想?)のためだったのです。その当日は、前夜からの雷雨も止み、午前中12〜16度という理想的気温、又平坦なコースだったのに何故か(多分観光し過ぎと飲み過ぎ!)悪調子で、8回目のマラソンにしては、実にきつかったです。又応援団(息子と家内)がいたのに実力(?)を発揮できず、何と自己記録より1時間半もかかり制限時間(6時間)ぎりぎりで、這うようにして何とかゴールインし、一応メダルは戴いてきました!中間地点で足が痛くなり棄権も考慮したくらいですが今回のマラソンは、幼馴染みでKG中高等部での同期でもあり、今春逝去した村上森蔵君の名のゼッケンを着けての追悼走行だったので、脱落する訳に行かず必死で半分歩きながらの後半でした。しかし、それで故人への供養ができ、怪我や水ぶくれ、又こむろかえしにも苦しまず、フィニッシュラインに辿り着いた時は疲れも忘れ、喜び(ラナーズハイ)に浸りました。そこで当夜は、家族と市内のレストランで名物ステーキと一番高いアルゼンチンワイン(1本約C$22)で祝杯をあげました。当ペソが安いので3人合計たったの約C$75!今まで訪問した大都市で一番安価な所でした。

我々は、帰路真っすぐ帰宅したのですが息子のぶんが又旅行好きで、一人でブラジルを10日程廻ってきました。吉井先輩からリオでの怖い話を色々聞いてたので帰ってくるまで心配でしたが、無事元気で帰宅しました。彼は、既にインド、香港、欧州各国、中南米等あちこち行ってるので、旅慣れたもんです。今回の旅行中は、息子が殆どの写真を撮ったのですが千枚近くある中を選んで掲載致します。

マラソンの方は、いつもゴール前にもう懲りたと思うんだけど、一週間もすると「来年は何処で走るべいか」なんて思っちゃうんですねー!それで次は、第五大陸としてアフリカ(エジプト)で来春やろうと密かに(?)企んでる次第です。残るは、豪州と南極のみ!(しかし南極は、一寸無理だろうなあ。もう病気です!)

それでは、もし野望を続ける事ができましたら次の旅行記をおたのしみに。

ドン コンドー

KG Vancouver

関西学院同窓会バンクーバー支部

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